人間って、おもしろい。
他人の「他責」は、驚くほどよく見える。
「あの人、また人のせいにしてるな」
「自分が動けばいいのに」
こういうことには、わりとすぐ気づける。
でも厄介なのは、
自分の他責は「正当な理由」に見えてしまうこと。
先日、あるクライアント企業様の店長から、「自分の役割について」振り返りの文章をいただいた。
そこには、
「店舗運営には様々な形があり、その形によって運営方法は変わると考える」
「経営陣の方針が曖昧」
「管理者が育っていない」
「次世代のスタッフが育つ必要がある」
というような内容が書かれていた。
間違っているわけではない。
でも正直、少しイラッとした。
「いやいや、あなたは評論家じゃなくて、この一年その店舗を預かってきた店長でしょう?」
と思ったからだ。
僕が知りたかったのは一般論ではない。
「自分は何をしたのか?」
「何ができなかったのか?」
「これから何を変えるのか?」
という“渦中の言葉”だった。
しかもこの方は、他の人には、
「お前が渦中に入らんかい!」
ということを平気で言う。
他人の“引いた姿勢”には気づけるのに、
自分のことになると気づけない。
そこで、ふと思った。
「……これ、僕もやってるんじゃないか?」
人は、他人が環境のせいにすると「他責だ」と言う。
でも自分なら、
「そこには事情がある」
「今はタイミングじゃなかった」
「それは自分の役割ではない」
と、もっともらしい理由が出てくる。
もちろん、本当に正当な理由もある。
でも怖いのは、
自分が他責になっていることに、自分では気づけないこと。
だから、誰かを見て
「もっと当事者意識を持てよ!」
と思った時ほど、自分にも問いかけたい。
「ところで、自分はどうなん?」
他人の他責はよく見える。
自分の他責は「正当な理由」に見える。
だからこそ、
「自分は今、ちゃんと渦中にいるだろうか?」
他人を正す前に、自分の無自覚に気づける人でありたい。
僕も、まだまだ修行中です。
プロパト・代表の飯田でした^ ^
らしく 楽しく おもしろく