おはようございます。
株式会社プロパトの石井です。
Netflixドラマ「地獄に堕ちるわよ」を見ていて、
「恋」という言葉について考えさせられた。
万葉集では、恋という漢字を「孤悲」
と表すことがあるらしい。
孤独の「孤」に悲しみの「悲」。
この表現を見たとき、
昔の人はすごいなと思った。
恋って、楽しいだけのものではないはず。
会いたいのに会えない。
伝えたいのに伝えられない。
忘れたいのに頭から離れない。
近づきたいのに近づけない。
わかり合いたいけどわかり合えない。
本気で恋をしたことがある人なら、
この「孤悲」という感覚は、
わかるんじゃないかなと思う。
孤独で、悲しい。
でも、ただ暗いだけではない。
その人を想う時間も、胸が苦しくなる感覚も
どこか生きている実感がわく。
今は便利な時代。
会いたければ、連絡できる。
声をききたければ、電話できる。
気持ちを伝えたければ、LINEを送れる。
便利になったぶん
待つ時間や、
想像する時間が短くなったのかもしれない。
昔の人は、
今みたいにすぐ繋がることができなかった。
だからこそ、
会えない時間に想像したり、
自分の感情と向き合ったり、
言葉にならない気持ちを、
どうにか言葉であらわしていたのかもしれない。
その結果、
「恋」を「孤悲」と表した。
たった2文字なのに、
そこに感情の深さを感じる。
言葉って
ただの記号ではないと思う。
その奥には、感情、痛み、体験がある。
だからこそ言葉を雑に扱うと、
人の気持ちまで雑に扱ってしまうことがある。
逆に、言葉の本質を捉えられる人は
人の感情にも
丁寧に向き合える人なのかもしれない。
昔の人は便利ではなかったぶん
物事の本質を、
じっくり見つめる力があったのかもしれない。
今の時代はなんでも
早く、短く、わかりやすく
することが求められる。
もちろん、それも大切。
でも、ときには、
一つ一つの言葉の奥にある意味を、
ゆっくり考える時間も大切にしたい。
言葉の本質を捉える力。
それは、人の感情を捉える力でもあると思う。
らしく 楽しく おもしろく